Statement
街は常に動いているが、写真はその流れを一瞬だけ静止させる。
熊本駅周辺を歩きながら、黒という色を媒介に、光と影、都市と感情のあいだに立ち現れる曖昧な境界を探した。
ここに写っているのは特別な出来事ではない。
ただ、この場所で、この時間にしか存在しなかった温度と気配である。


はじめに|街を歩くという行為
写真を撮るために街を歩くとき、目的地は必ずしも重要ではない。むしろ、足を止めた場所、振り返った瞬間、ふと視界に入り込んできた光や影こそが、写真になる。
熊本駅周辺は、そうした「偶然」を静かに受け止めてくれる街だ。再開発によって整えられた都市の輪郭と、人の生活がにじむ余白。そのあいだを歩きながら、今回は黒を基調とした装いを一つの軸に、写真作品としてのスナップを重ねていった。

黒という色が持つ、受容性
黒は強い色だ。だが同時に、周囲を拒まない色でもある。光を吸い込み、影を抱え込み、背景の色や質感をそのまま受け入れてくれる。
熊本駅前の広い空間では、直射日光が衣服の輪郭を際立たせる。歩道橋の上、ガードレールの白、アスファルトのグレー、遠くを流れる車の色。そのすべてが黒に映り込み、写真の中で一つの層をつくっていく。
ここで重要なのは、ポーズではなく「佇まい」だ。視線の置き場、体重のかけ方、風を受けた瞬間のわずかな揺れ。意図と無意識の境界線にこそ、作品としての強度が宿る。




都市の中の余白としての公園
駅から少し離れると、小さな公園が現れる。遊具の原色、ゴム舗装の床、午後の光。
黒い服と、あまりに素直な色彩。その組み合わせは、一見すると不釣り合いだ。しかし、その違和感が写真に時間の層を生む。大人になった視点で立つ子どものための公園。そこに立つことで、写真は単なる記録から、記憶に近いものへと変わっていく。
滑り台に腰掛けた一枚では、身体の緊張が少しほどけ、影もまた柔らかくなる。熊本駅という交通の要衝から、ほんの数分歩いただけで、これほど空気が変わる。その事実自体が、この街の持つ奥行きを物語っている。



光が主役になる瞬間
並木道では、光は常に一定ではない。葉の揺れに合わせて、影は細かく分断され、肌や衣服の上を滑っていく。
ピンクがかった髪色は、強い色でありながら、決して主張しすぎない。それは、自然光の中で初めて完成する色だ。逆光で輪郭だけが浮かび上がる瞬間、写真は説明を手放し、感覚だけを残す。
シャッターを切る理由は明確ではない。ただ、「今だ」と感じる。その感覚を信じられるかどうかが、作品になるかどうかを分ける。

熊本駅周辺という撮影フィールド
熊本駅周辺は、作品撮りにおいて非常に扱いやすい場所だ。
- 無機質な構造物と自然が共存している
- 徒歩圏内で光の条件が大きく変わる
- 人の流れがありながら、過度なノイズにならない
観光地としての顔と、生活の場としての顔。その二つが重なり合うことで、写真に現実感と詩性が同時に立ち上がる。
写真は、説明しすぎない
このシリーズを通して意識したのは、「語りすぎない」ことだ。
写真は多くを語らなくていい。見る側が、どこかで自分の記憶と接続できる余白を残しておく。そのために、構図も、表情も、あえて未完成のままにする。
熊本駅周辺で撮ったこれらの写真は、この街を象徴するものではないかもしれない。しかし、確かにこの場所で、この時間にしか存在しなかった光と影だけは、静かに写っている。
おわりに|歩き続けるための写真
写真作品は、完成した瞬間よりも、その後にどう残るかが重要だと思っている。
ふとしたときに思い出される一枚。言葉にできない感情を、かすかに呼び起こす一枚。熊本駅周辺を歩きながら撮ったこのシリーズが、そうした存在になれば、それで十分だ。

次にこの街を歩くとき、また違う黒、違う光に出会えるだろう。そのために、カメラを持って歩き続けたい。
以下使用機材